第13話 王者に会った日

SECTOR-1

パパが帰ってくる。

といっても行方不明だったわけでもないから当然っちゃあ当然なんだけど。
3月から始まったグランプリレースのシーズンも、10月の最終戦アブダビで終わりを告げた。パパはパワーユニットの供給元、ヤムラ自動車のチーフエンジニアとしてすべてのレースを現地で見届けて、ようやく日本に帰ってきたというわけだ。
でも帰ってきたからといってのんびりしていられるはずもなく、来年に向けての開発だとかスポンサーさんへの挨拶回りだとかで結局家には帰ってこない。

ようやく会える時間がとれたから、と呼び出されたのはトーキョーのど真ん中。
みんなに謝って、今日のミニ四駆部はお休みにした。授業が終わったらまっすぐ駅に向かい、電車にのって一時間。着いたのは地下鉄アオヤマ一丁目。そう、ヤムラ自動車の本社だ。
丸みを帯びた高いビル。ショールームになっている正面入口には向かわずに、奥まった従業員通用口に向かう。
白いツナギを着たエンジニアさん、スーツをビシッときこなした営業さんが行き来していて、普段ではお目にかかれない大人の世界に、さすがのあたしも緊張する。

「ん? ショールームはこっちじゃないよ、お嬢さん!」

守衛のおじさんに呼び止められた。私はバッグに手を突っ込んで、一枚のカードを掲げた。

「父が、ここに来いと」
「なに……涼川……ああ、涼川さんの! こいつは大変失礼!」
「いえいえ、いいのいいの」
「話は聞いてます、どうぞどうぞ」
「どうも……」

相手によってコロっと態度が変わるのが大人の世界。楽しいような、納得いかないような。ともあれ私は世界トップテンの自動車メーカーであるヤムラ、その本社に入った。
パパからは、受付にいって「涼川」の名前を出せばわかるようにしておく、と言われていた。
受付で同じようにカードを見せると、女性が受付ブースを出た。私を案内してくれるという。

「お嬢様がいらしたらここでお待ちいただくように、とのことでしたので。お父様には連絡していますから、じきにいらっしゃると思いますが……」
「ありがとうございます」

一礼して戻る背中を見届けてから、あたしはその部屋に入った。かなり広い部屋みたいだけど照明は付いていない。手探りでスイッチを入れると、その真ん中に何かがおいてあるのがわかった。大きく、複雑なラインが浮かび上がる。

「これって……マケラレーン・ヤムラ!」

ミニ四駆じゃない。RCカーでもない。本当の、本物のグランプリカーがそこにあった。

SECTOR-2

「うわぁ……。」

いくら自分が関わってるからといって、世界に2台……パットン選手用とアローン選手用だけ、1台の値段なんてつけられない、完全にオーダーメイドのレーシングカーをこうやって無造作に放っておいて、かつ娘とはいえ部外者に、何の見張りもなく見せちゃうってどうかしてるとしか言いようがない。とはいっても、これはまたとないチャンスだ。本物のレーシングマシンから、全国大会に向けたマシン作りのヒントがもらえるかもしれない。あたしはマシンに近づいてじろじろと見て回った。

「ははぁ……。細かいところもぜんぶカーボンだもんね……。」

小さな羽根のようなパーツが折り重なって、フロントとリヤのウイングをつくっている。表面はメタリックグレーできれいに塗装されているけど、裏側はカーボンの繊維が丸出しになっている。美しさと速さ、繊細さと大胆さ、すべてが凝縮されているのがよくわかる。

「それにしてもこんなクルマを造る人も造る人だけど、運転する人も運転する人だわね。まったく信じられないわ」
「それハ、ほめているのですカ?」
「もちろんそうよ……って!」

独り言に答えがあった。しかもピュアな日本語ではなく、外国語の雰囲気が入ったイントネーション。あたしがマシンを覗き込んでるうちに入ってきたのか。あたしは振り向いて声の主を見た。

「Hello, Super girl」

南ヨーロッパ風の濃い顔にこれまた濃いヒゲ。背は決して高くないが、筋肉が凝縮されてるような感じを受ける。ブラックのポロシャツの胸には、マケラレーンのエンブレムとヤムラの「Y」のマーク。間違いない。先月の日本グランプリで、ヤムラ製パワーユニットを「ミニ四駆のモーター」と叫んだその人は……!

「フェルナンデス、アローン!」
「はじめまシテ」

ぼんやりしているあたしの手を、アローンはさっと取って、ぎゅっと握ってしまった!

SECTOR-3

フェルナンデス・アローン。

弱小ミンナデェ・チームからグランプリデビュー。たびたび上位陣を食う走りを見せて脚光を浴びる。1年のテストドライバー生活を経てフランスのワークスチームに加入、初優勝を成し遂げる。そして歴代最多勝を誇るマイケル・カイザーと激しい戦いを展開したのちに、2年連続でのチャンピオンを獲得。その後は優勝請負人として名門チームを転々とするけどあと一歩、運に恵まれず。ここが最後のチーム、として選んだのがマケラレーン・ヤムラだった……。

と、早口でのナレーションが頭の中を駆け巡った。そう、その「グランプリのサムライ」とも呼ばれるアローンが、目の前にいる!

「は……ハロー」
「ハハハ、日本語でオケ」
「え?」
「あゆみ、フェルナンデスは、日本でレースをしてたことがあるんだよ」

見知った、とぼけた声が部屋に入ってきた。相変わらずの白髪混じりの頭をかきむしりながら。

「パパ! これって!」
「いやあ、彼にあゆみがミニ四駆の大会で地区優勝したんだって話したら、ぜひ会ってみたいって。大変だったんだぞ、スケジュールここしか空けられなくて」
「は?!」
「その通りでス。日本のBoys & Girls、みんなレーシングカーのチューナーって聞いてまス。そこで勝ち進むなんて、ファンタスティック!」
「あ……ありがとうございます……」

ワールドチャンピオン、しかもこれまでに十人といない複数回のワールドチャンピオンから、ファンタスティックだなんて、もう信じられない。真っ赤な顔を見せたくなくて深いお辞儀をし続ける。

「ソウ、会って聞きたかったことがありまス」
「は……な、なんですか?」

アローンは、あいや呼び捨てなんてできない、フェルナンデスはマシンのそばに歩いていって、振り返った。

「あゆみサン、レースは楽しイ?」
「えっ……あ、はい」
「勝つことができなくなってモ?」
「う……」

難しい質問に、あたしは口を開いたものの言葉を出すことができない。その様子は予想どおりだったのか、フェルナンデスは笑って言った。

「だよネ。《勝ち》を覚えちゃうと、《負け》を許せなくなル」
「そう、ですね……ア、アローンさんもそうですか?」
「モチロン」

思わずパパの方を向く。モータースポーツの雑誌やサイトでは、日本グランプリでの「ミニ四駆モーター」発言いらい、ヤムラ製パワーユニットを責める内容が目立っている。パパはわざとらしく首を横に激しく振った。

「ああ、みのるサンをせめるつもりはありませン。マケラレーン・ヤムラのみんな、一生懸命にやってます」
「じゃあ、やっぱり勝てないのは」
「つらいですネ。でも大事なのは結果じゃなくて、今のベストを尽くすこと、それが目標になってるかどうか、じゃナイ?」
「あ……」

なんだか当たり前になりすぎてて忘れてた。《女帝》との戦いはお互いのハートを削り取るような痛みがあったけど、それだけじゃダメなんだ。そこで自分のすべてを出せるかどうか。

「今度はJapan Championshipだって聞いてまス。戦うの激しくなると思いますケド、最後まで目標を捨てないデ」

パン、と肩を叩かれて頭の中が真っ白になった。

「さあ、このマシンをショールームに出さないといかんのだ。あゆみ、また今度ゆっくりな」
「え、あ、あたしはパパに会いに来たのに!」

パパが言い終わると同時に、作業服を着たスタッフが入ってきて、マシンはクッション材に包まれ、あたしは部屋の外、建物の外へと連れていかれたのでした……。

SECTOR-4

来た通路を戻って、通用口から外へ出る。

フェルナンデス・アローンと話ができたという幻想と、結局パパとはロクに話ができなかったという事実。ふたつがごっちゃになってて消化しきれてない。
せっかくヤムラ本社に来たんだから、ショールームを見ていこうと思って、あたしは建物の正面にまわった。
ウインドウの向こう、ミニバンやコンパクトカーに囲まれた中に、ぽっかりと空間が作られている。警備員の人、作業員の人、クルマの間にたくさんの人がいて、ものものしい空気なのが伝わってくる。
それだけ厳重に守るべきもの……グランプリカーを間近に見ただけでなく、そのドライバーに会って握手までしてしまった。手のひらに残る感触が、あたしに告げてくる。

「そっちも現実だったんだ……」

と、風が吹いた。強い風が吹いて、足元に何かが飛ばされてきた。帽子、とわかるよりも早く、これ以上飛ばされないようにと、あたしはそれを強くつかまえた。

「ごめんなさい!」

女の子、同じくらいの年の女の子の声だった。風を浴びながら、あたしのそばまで走ってきた。
つかんだのは、いわゆるベースボールキャップ。正面に「EMOTIONAL」と刺繍が入れられた青い帽子。

「あなたの?」
「そう、ありがとう」

外国の薫りがすこし漂う娘だった。ちょっとはねた後ろ髪が、元気な印象を振りまいている。
あたしの手からキャップを受け取り、その娘とあたしはすれ違う……はずが、同じ方向に歩き始めた。

「あなた、ヤムラのショールームに?」
「キミも?」
「うん!」
「わたしは、今日からグランプリカーが展示されるって聞いたから」
「そ……そうなんだ」
「それにしても、女の子がひとりで?」
「女の子でも、ひとりでもいいじゃない!」
「だよね!」

二人で顔を見合わせて、笑った。それが、ファーストコンタクトだった。

彼女のお目当てが普通のクルマではなく、レーシングカー、いや、これから運ばれてくるマケラレーン・ヤムラのマシンだってことはすぐにわかった。色とりどりの、普通のクルマたちには目も向けず、大人たちの間をすり抜けて最前列にたどり着く。あたしもおいていかれないように、彼女の背中を必死で追いかけた。

「そろそろ来るかな」

そう言う彼女に、あたしは何も伝えられなかった。パパがもたらしたラッキーな経験。それはペラペラとしゃべっていいものじゃない。でも嬉しい出来事だったのは事実で、みんなに自慢したい。とりわけ、ありがたみがわかってる相手には細かく伝えたい思いもある。あたしは不意をついてその気持ちがあふれ出さないように、しっかり口を閉じていた。でも人だかりが割れて、暗がりからフロントウイングが現れた瞬間、

「きた!」

と声をあげてしまった。

でも今度は逆に、彼女の方から返事はなかった。食い入るように、メタリックグレーの車体をじっと見ている。かたく握られた手も合わさって、あたしには、彼女がマシンを強く見つめている、いや、じっとにらみつけてるように見えてしかたなかった。

「あの……。レーシングカー、好きなの?」

あたしは彼女から発せられるプレッシャーに耐えられず、ずいぶんと間抜けなことを聞いてしまった。そりゃそうだ。好きじゃなきゃわざわざここまでしないよ。

「うん、好き」
「やっぱり」
「でもね」
「でも?」
「憎んでもいる」

おおよそ場違いな言葉に、あたしは息をのんだ。それは言葉の怖さだけではない。得体のしれないプレッシャーが、彼女自身から吹き出したんだ。うまく言えないけど、「殺気」というものがあるのなら、今のがそうだったんだろう。

「な……なんで?」
「父さん。父さんを奪ったから」
「はい! これからプレスミーティングの準備に入ります! 一般の方は申し訳ありませんが一旦ご退場をお願いします!」

彼女の言葉をさえぎって、警備員の人たちがマシンの前に立ちふさがった。そして、あたしと彼女は、別の出口からショールームの外へと追い出された。
名前も、連絡先も聞けなかった。ただ、彼女がかぶっているブルーの帽子が人波に飲まれるのが、かすかに見えた。

SECTOR-5

「涼川さん!」
「はっ!」

会長の声に、あたしは我にかえる。

この3日間、ずっと同じ景色があたしの中をぐるぐると巡り続けている。

「父さんを奪った」と、あの娘は言った。レーシングカーを憎んでいるとも。であればどうして、わざわざあの日、ショールームに展示される最初の日に現れたのか?

そんな結論のでないことをずっと考え続けている。

「また、こないだ言ってた娘のことを考えてたの?」
「う……うん……」
「気持ちはわかるけど、もうここまできちゃったんだから、目の前のレースに集中していきましょう」
「そうですね」

そうだ。戦いはもう始まっている。
ここはトーキョー、ドームスタジアム。真ん中にはアイドルのライブのようなステージと、大きなディスプレイが立っている。それを囲むように、あたしたち参加チームのピットが設けられていた。
「ミニ四駆選手権」全国決勝は、第一回大会からドームスタジアムで開催するのが伝統になっている。派手な仕掛けのオープニングセレモニーが続いているけど、その中身は頭に入ってこない。こんなことでいいはずはないのに。

「あゆみちゃん、無理しないでも大丈夫よ」
「ルナちゃん、ありがとう」
「この後のレース。ひとチームの上限は二人まで」
「そうだよ。エースは休んでてもらってもかまわないよ!」
「早乙女ズ……。うん、まあ、考えよう」

いいながらも、正直、気持ちの内側がザワザワする感覚がある。それはなぜか、はっきりと感じられるほど強くなってきた。

《それでは、選手宣誓を昨年の優勝チームから行っていただきましょう!》

あたしは、ディスプレイを見上げた。

去年の優勝チーム。乗り越えるべき壁。これから立ち向かう相手が明らかじゃないからこそ、こういうモヤモヤも大きくなるにちがいない。
あたしは、気持ちをふるい立たせて、ステージを見た。ひとりの女の子が上ってくる。カメラはその娘の顔をアップでとらえた。

「う……うそ……」

ブルーの帽子は見間違えようもない。一礼してから、顔が大きく映った。
決意と、緊張で、硬い表情だった。

《聖ミニョン学園ミニ四駆部、チーム・ガディスピードの瀬名アイリーンです。

レースをすること。
戦うこと。

それはわたしの中を、血として流れています。わたしの一部であり、人生そのものです。

わたしはそれをずっと続けてきました。
そして何よりも、大切なものだと思っています。

わたしは全力で戦います。
皆さんも、悔いのないように頑張りましょう。

ありがとうございました》