第10話(#22) ファイナル!! (上) /FACES(フェイセス)



1

 アキバドーム。その名の通り、トーキョー・アキハバラにほど近い場所に建つ、ドーム型の野球場である。だがその立地と全天候型の構造から、プロレスなど他のスポーツイベント、さらには学生アイドルのステージコンテストなど、幅広い用途に使用されている。
 「ミニ四駆選手権」の全国決勝大会も、第一回の開催からアキバドームを舞台にして行われてきた。
 一月最後の土曜日、決勝当日。午前一〇時にレースはスタートするが、客席はその二時間前、午前八時にゲートオープンされた。老若男女のミニ四駆ファンのみならず、各地の地区大会で、そして全国大会の予選リーグで、惜しくも敗退してしまったチームの選手たちも続々と入場ゲートに吸い込まれていく。正面入り口の向かいには大会を記念したグッズ売り場まで設けられ、ドーム周辺は他のイベントにも引けを取らない大きな盛り上がりを見せていた。

「よう」

 藤沢凛は、すでに着席していた少女の背中を軽くたたいた。黒いレース生地がビクッと震える。

「なっ、何を……!」

 川崎志乃ぶは振り返り、絶句する。凛は白い歯を見せてほほ笑んだ。

「藤沢、凛!」
「あっ、藤沢さん、お久しぶりです」

 志乃ぶのかげから、小動物を思わせる動きで小田原ゆのが顔を出した。

「おう、おひさ」

 凛はトートバッグを床に置くと、スタンドの椅子に腰を下ろした。眼下には、扇型に広がるグラウンドが広がる。ただバックスクリーン前には巨大なモニターがそびえたち、その前には地区大会と同様、各チームのピットスペースが所せましとつくられている。設営スタッフが慌ただしく動いている姿が見えるが、小指の爪ほどの大きさにしか見えない。

「しっかし、地区予選敗退組は二階席スタンドか。まったく、毎年の事とは言え、しけてるよな」
「しょうがないでしょう、私たちはルナに、いえ、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》に勝てなかったんだから」
「でも、決勝のチケット、ただでもらえるなんて知りませんでした。ラッキーです!」

 毒づく志乃ぶをよそに、ゆのが無邪気な笑顔を見せる。凛は目を細めた。
 決勝は、二十四時間耐久レース。だが夜を徹しての走行は中学生にとって大きな負担となることから、十二時間を経過したところで一度中断。休憩と睡眠の時間を十分にとった翌朝に再スタートし、残りの十二時間を走り切る形式となっている。観戦する方もそれだけの時間をすべて見届けることは難しい。チケットは会場からレース終了まで出入り自由となっているが、凛はスタートから午前中のセッションを見届けたところで引き上げる予定にしていた。
 それまでに、どんな順位になるのか。どんな展開になるのか。考え始めると想像が止まらない。

「あいつら、今頃わちゃわちゃしてんだろうな」

 凛は腕を組み、足を組んだ。時計は、八時半を回ったところだった。



2

パーテーションで仕切られた《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のピット内。あゆみの目に映る光景は、これまでに転戦してきた各会場のものと変わりない。唯一の違いは、中にいる人数が一人多いということだけ。それ以外は、中心に置かれた《バーサス》端末も、足元に転がるそれぞれの荷物も、変わったところはなかった。

「さて、じゃあミーティング、やりましょうか」

 奏が声をかける。これまでであれば、たくみやたまおが軽口をはさんでくる場面だったが、二人とも小さくうなずくのみ。ルナも、そして資料を手に立ち上がった奏も、一様に緊張しているのが分かった。

「うん、始めてくれ」

 唯一、秀美の声には張りがあり、余裕があるように感じられる。それでも、他のメンバーに比べれば、という程度のものだった。

「はい。じゃ、始めます。……いよいよ、というか、ついに、決勝です。どんな結果になろうとも、私たちにとって最後のレースになります。色々な問題、トラブル、アクシデント、出てくるとは思いますが、今回参加してくれた秀美を含めてみんなで、乗り越えていきましょう」
「おう」

 あゆみが控えめに言う。場が和む気配はない。

「まあ、合宿とかでも説明したからわかっているとは思うけど、念のため確認していきます。決勝は、十二時間のレースを二セットに分けて行う、合計二十四時間の耐久レースです。コースは、《ニュルブルクリンク》北コース、全長約二十一キロとなりました」
「いわゆる《ノルトシュライフェ》だな。去年のサルト・サーキット、その前のデイトナに比べると難易度は段違いに高い」

 秀美の補足に、奏はうなずく。

「マシンは各チーム二台出走。予選を突破した十チーム、全二十台でのレースとなります。私たちは、涼川さんのエアロサンダーショットと、私のエアロアバンテの二台。基本的には全員で作業を行うわけだけど、それぞれトラブルとかを見落とさないようにするために、マシンごとに担当メンバーを決めました」
「む……」

 たまお、たくみとも唸る以外に反応のしようもなく、奏の次の言葉を待っている。

「涼川さんのエアロサンダーショット、メイン担当はもちろん涼川さん。サブとしてたまおちゃんと、猪俣さんに入ってほしい」
「しょ、承知しました」

 不意に名前を呼ばれ、ルナが上ずった声で返事をする。

「で、私のエアロアバンテについては、たくみちゃんと、秀美にお願いしたい。いいかしら?」
「任された。その……弟ちゃんも頼むぞ」
「はい」

 秀美の、あまり趣味の良くないジョークに、たくみは反応することもできない。奏が心配そうに目線を送る。

「みんな緊張、してるわよね。私もそう。そんな中で、あんまり良くない話をしなくちゃならないの。何かというと、スタートの手順について」
「あ、そういえば確かに聞いてなかった」

 あゆみが奏に向き直る。スチール製のパイプ椅子が軽い金属音を立てた。

「あたしたちはEブロックの二位でしょ? ブロックはAからEまであるけど、ブロック同士の順位なんて決めてないはず。いったい、あたしたちはどのグリッドからスタートするんですか?」

「そうね……。それを言う前に伝えておきたいのが、決勝はいつものスタンディングスタートではなく、ペースカー先導でのローリングスタートだということです」
「まあ、耐久レースだから、それが自然か」
「ええ。で、隊列は二列で、同じチームの二台が横にならぶかたちです。先頭はAブロックの一位チーム、今回は《チーム・ガディスピード》の二台になるけど、その後にB、C、D、Eの順番で続きます」
「えっ、そうすると……」

 あゆみが、そして奏の説明を聞いていた全員が、導き出される結論に気付いてうろたえる。秀美は苦笑を浮かべながらかぶりを振った。

「もうわかったみたいね。Eブロック一位の後に、Aブロックの二位が続いて、そのままアルファベット順に並んでいく」
「Eブロック二位通過のあたしたちは、最後尾か……」

 あゆみが深くため息をつく。

「でも、十分逆転するチャンスはある。走る距離、つかう時間、両方とも今までとは比べられないんだから。とにかく、焦らずに、万全の状態でスタートしましょう」



3

 《バーサス》にログインすると、ホームスレートにはすでにほとんどのマシンが並べられていた。同時出走台数が予選ラウンドの倍になるということもあって、ログインしているチューナーの数も多い。さらに決勝を盛り上げるため、抽選を通過した一般ユーザーをピットウォークさながらに招待しているため、ホームストレートはさながら縁日にも似た賑わいを見せていた。
 《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の二台、エアロサンダーショットとエアロアバンテはガレージを出て、グリッドにつくため一周のレコノサンス(偵察)ラップへと出ていく。整えられたグランプリコースから分岐して、道は深い森の中へと続いていく。

「これが、ノルトシュライフェ……!」

 エアロサンダーショットをモニターするあゆみが絶句する。映像は常に上下左右に振られ、コースの先は見通せない。距離感をはかるための看板もほとんどなく、マシンがどこを走っているのか、簡単に見失う。

「予選で使われていた、各国のグランプリサーキットに比べると、路面は荒れてるし、波うってるような場所も多いわね」

 エアロアバンテが、距離を置きながら後方を追走していく。コース上は、細かなコーナーが点在するものの、道幅がせまいため勝負どころとなるポイントは数えるほどしかない。限られたラインをトレースしながら緩やかに右へ旋回しつつ、上下左右、場合によっては前後に揺さぶられる中で、どれだけ安定したタイムを刻むことができるか。それがニュルブルクリンク北コースを攻略する唯一の手立てである。
 グランプリカーを超える性能を見せる《バーサス》上のミニ四駆であっても一周七分を超える、超ロングコースを走り終えて、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の二台はグリッドについた。
 あゆみたちはピットを出て、各チームのマシンが並ぶホームストレートへ降り立つ。

「ひゃー、コントロールライン、遠いな」

 最後列のグリッドからは、スタートシグナルが下げられているブリッジが、サーキットを写した風景写真のようにしか見えない。その真下に、《ガディスピード》のエアロマンタレイとライキリが並んでいる様子を、あゆみは想像する。それだけで、胸が詰まる。スタート前の、緊張する時間だが、いや、緊張する時間だからこそ、アイリーンに言っておきたいことが、あゆみにはあった。

「ちょっと、前の方見てくる」

 駈け出すように一歩を踏み出す。その肩を強くつかまれる。

「気持ちはわかるが、勝手に行くな。チームリーダーなんだろ」

 秀美がいさめる。ルナ、そしてたまおとたくみの表情が一瞬で険しくなる。秀美は手を離して、ぽん、と叩いた。

「私も行こう。前の方には万代みたいなクセ者ばっかりだからな」
「エンプレス……」
「待って、私も行くわ」

 奏が二人の間に割って入る。

「ありがとう、会長」

 あゆみの笑顔は、どこかぎこちない。その、いつもと違う雰囲気を奏は感じ取っていた。

「じゃあ、猪俣さん、たまおちゃん、たくみちゃん、ちょっと前の人たちに挨拶してくる」
「承知しました。気を付けて」
「会長、先手必勝、ガツンと言ってきてくださいよ!」
「余計なテンション作っていいことないでしょ。あゆみ、気を付けて」

 あゆみは小さく手を振って、グリッド最前列を目指した。



4

「あ、赤井さん」
「お」

 グリッドのちょうど真ん中、Eブロック一位のところで、秀美は不意に声をかけられた。自身と対照的な、透き通るように白いシルエットが視界の片隅からあらわれる。

「羽根木さん」
「涼川さんたちも。お久しぶりね」

 傍らでたたずむジルボルフのボンネットには、誇らしげな神獣《フェンリル》のイラストレーションが刻まれている。

「赤井さんが予選からいたら、この場所はあなたたちのものだったかもね」
「そんなことはない」

 静かに挑発的なことを語る美香に、秀美は強い口調でこたえる。

「冗談よ。まあお互い悔いのないようにね」
「ああ。接近戦になったら、クリーンに頼むよ」
「もちろん」

 それじゃあ、と秀美が言いかけた時、前方から何かが突進してくるのに気付いた。秀美は、一直線に向かってくるそれを、すんでのところでかわした。あゆみと奏は飛び上がるようにのけぞっていた。

「しゅーみー、会いたかったよ~」

 振り返りながら、万代尚子はセルフレームの眼鏡をなおす。

「万代さん……!」

 奏が、その姿を見て身体をこわばらせる。

「あれっ、アンタ、こないだ秀美とやってたエアロアバンテのコか」
「まあ、そうですけど」
「あん時はごめんねー。カッとなったら止められないっていうかさー、どうにかなっちゃうのよ。アンタがインを開けてくれたと思ったからさ。悪かったな」
「今さら謝られても、うれしくもなんともないですよ……」
「そうねー。そうだよねー」

 あくまで奏をおちょくった態度に、奏の肌が次第に紅潮し始める。見かねて秀美が尚子の方に手を当てる。

「そんぐらいにしといてくれ。あのレースの事をとやかく言うつもりはない」
「ふーん、そっかー。ありがとねー。」

 尚子は、曇りのない満面の笑みを見せる。奏は、その笑顔の裏にある、危険なものの気配を感じて小さく震えた。

「なんだか楽しそうだな」

 サーキットに似合わない、実験用の白衣をまとった少女が話の輪に入り込んでくる。

「氷室さん!」

 不意をつかれて奏が素っ頓狂な声を出す。

「万代、あまり恩田さんを見くびっていると痛い目にあうぞ」
「いや、あの、そんな……」

 今度は急に持ち上げられ、奏は口ごもる。秀美は、それが本心からでないことを感じ取り眉根をひそめる。

「この間の追い上げは見事だった。ただ、マシンのポテンシャルは、あれでおおよそ理解できた。万一、競り合うようなことになったら、集めたデータを活用させてもらうよ」
「あ、ああ……」

 あっという間の手のひら返しに、奏は返す言葉もなく立ち尽くす。そうしていると、上位ランカーがグリッド上で談笑している姿を見つけられ、主催者のカメラとレポーターが近づいてくる。さっそく、無遠慮に美香へマイクが向けられ、心底迷惑そうな受け答えが始まっていた。

「さて、あとは」

 秀美はあたりを見回した。

「あれ? 涼川さん?」

 奏も人と人の隙間からあゆみを探すが見当たらない。

「それでは、特別枠でカナガワエリア代表チームに加わっている、赤井選手にお話を伺いましょう」

 秀美にマイクが向けられた。口を開く直前、奏に目で合図して、あゆみを探すように伝えた、つもりだったが奏は気づかず、インタビューの順番が次に回ってくるものと思い込んで、がくがくと脚を震わせていた。



5

 スタートシグナルの真下で、《ライキリ》は静かにスタートの時を待っていた。ジャパニーズ・スポーツカーの手法を守りながら、丸みとエッジが調和したデザインは、その名の通り鋭利な日本刀の姿を思わせる。実車ではなく《バーサス》内で再現されたデータではあったが、確かに漆黒の車体はグリッド最前列に並んでいた。
 あゆみはあたりを見回す。招待された一般ユーザーの注目は、やはり《ガディスピード》の二台に集まっているため、マシンの周りには二重、三重の人垣ができている。あゆみはかき分けるようにして前へ進む。わずかに開けた視界に、アイリーンのブルーの帽子が見えた。

「瀬名さん!」

 叫ぶが、人波にさえぎられて届かない。アイリーンは《ライキリ》の傍らで、チームメンバーと話している。手にしたタブレットとマシンを交互に見ながら、最終的な作戦を決めているようだった。
 スタート時刻が近いことを知らせる、甲高いサイレンが鳴った。それを合図にして、レース参加者以外は次々と強制的にログオフさせられていく。立ち去るのではなく、瞬時に消えるように、人影が次々と消えていく。

「瀬名さん!」

 目が合う。レースに集中している、鋭利なまなざしである。一瞬顔を伏せてから、あゆみに近づく。すでに一般ユーザーの姿は周りになく、二人のあいだにさえぎるものはなかった。

「何? もう、レース始まるよ」
「あの、私、聞きたいことがあって」

 あゆみは口ごもる。言おうと思っていたこと、確かめたいと思っていたことがたくさんあったはずなのに、いざアイリーンを目の前にすると、すべて吹き飛んでしまう。肩越しに、《ライキリ》のボディが見える。吊り上がったヘッドライトが、強い眼力であゆみを追い返そうとしているように見えた。

 二人の間に言葉がないまま、再びサイレンがなった。

「涼川さーん、もう戻らないと、始まるよー」

 奏の呼ぶ声が響く。

「ほら、呼んでるよ」

 アイリーンがうながす。それでも、言葉は出てこない。意を決して、あゆみは言った。

「12時間たったら、いったんみんなログアウトするでしょ? その時……話をしたいの。いい?」

 力をこめて顔を上げ、アイリーンを正面から見据えて言った。それが限界だった。

「……わかった」
「瀬名さん」
「けど、追いついてきなよ。後ろをノロノロ走ってるようだったら、私はあなたと話すつもりはない」
「ありがとう!」

 あゆみは言い残して、グリッド最後列に向けて走っていった。先頭からは実に遠い。《バーサス》が作り出した仮想空間だと分かっていても、たどり着くのは一苦労である。ピットウォールを飛び越えるようにして、あゆみはホームストレートから退去する。予選ラウンドと同じように、ピットウォールにはマシンの状態を確認し、作戦を伝えるためのコンソールが作られている。

「ごめん、会長」
「いいけど、何話してたの、瀬名さんと」

 あゆみは、不意を突かれたように身を固くする。

「ごめん、余計な事聞いたわね。さ、レースに集中しましょう」
「すみません」

 席につく。インカムのマイクを引き寄せる。

「ルナちゃん、たまおちゃん、たくみちゃん、そして、エンプレス。準備はいい?」
「もちろんです!」
「問題なし」
「いつでもいいよ」
「大丈夫だ」

 それぞれの、自信に満ちた声が聞こえてくる。

「会長も、いいですか」
「ええ。ここまでこれて、本当にうれしいけど、これだけで終わっちゃもったいないから。ね、涼川さん」

 緊張をほぐそうというのか、いつもより弾んで聞こえる奏の声が、あゆみにはありがたかった。

「うん! 私たち《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の冒険、その結晶を見せつけよう!」

 呼びかけると同時に、フォーメーションラップのスタートを知らせるサイレンがなった。そしてエアロサンダーショットとエアロアバンテは、静かにグリッドを離れた。