第9話(#21) 負けるもんか



1

 一月も半ば、ハコネの山を抜ける道の傍らには雪が残り、行き交う人々の息は昼間でも白かった。

急角度のワインディングを抜けたワンボックスカーが、ウインカーを点滅させながらゆっくりと停車する。

「ここね」

 スライドドアを開け、ワンボックスカーから降りた秀美は、厳かにたたずむ旅館の構えを見回した。暖房の効いた車内との温度差に、足元から体が震える。

「あー、半年ぶりかぁ」
「また来ることになるとは、思わなかったけどね」

 あゆみと奏が話しながら降りてくる。それに続いてルナ、たまお、たくみと《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のメンバーが次々と道路に降り、送迎のドライバーから手荷物を受け取っている。この集団の中に自分がいることを、秀美はまだ信じられなかった。

「秀美」

 奏が声をかける。

「大丈夫?」
「何がだ」
「いや、電車の中でもクルマの中でも、ぜんぜん話さないから」
「それは……」
「それじゃ、お部屋へご案内しますので」

 秀美の言葉は、仲居の女性にさえぎられた。

「よーし、じゃあ早速お風呂だー」
「なんだよー、あたしの方が先に行く!」
「風呂にはまだ全然早い」
「でも温泉合宿って風情があって、やっぱりいいわよね」

 にぎやかに進んでいく四人の背中を見て、秀美は目を細めた。

「やっぱり、みんな楽しそうだな。それに比べて、私が今まで《スクーデリア》でやってきたことは……」
「はいはい、そういうのはいいから」

 奏が、秀美の肩口を軽くたたく。

「今回は、秀美を含めてのニュー・《すーぱーあゆみんミニ四チーム》合宿なんだから、遠慮しないでよ」
「ああ……わかってる」

 無理に作った笑顔は、まだ硬かった。

「さて、私たちも入らないと、置いて行かれちゃう」
「確かに」

 二人は小走りに館内へ入る。

土足禁止ゆえ、玄関で靴を脱ぐ。その背後から、小走りの足音が近づいてくる。たくみかあゆみだろうと思い、秀美は何げなく振り向いた。

「お久しぶりです!」

仲居の着物に身を包んだ少女が走り込んできて、勢いよく頭を下げる。長い黒髪がふわり、と舞い上がった。

「小田原さん」

 ゆのの笑顔に、秀美の頬も自然と緩む。

「ごめんなさい、赤井さんが、いらっしゃるって、聞いていたので、お出迎えしないとと思ってたんですが、急にお仕事を頼まれちゃって」

 慌ててきたのだろう、息が上がっていて、言葉は途切れ途切れである。

「いいのよ、気にしないで」
「どうもすみません……。恩田さんも、またうちの旅館を選んでくださって、ありがとうございます」
「いえいえ」

 もう一度、ゆのは大きくお辞儀をする。奏と秀美は苦笑いしながら腰を上げた。

「じゃあ、涼川さんたち先に行っちゃってるから、後でまた」
「そうですね、ごめんなさい、引き留めてしまいました! では後で、お部屋へご挨拶に上がらせてもらいます!」
「忙しければ、無理しないでいい」
「いえいえ! 赤井さんは私の師匠ですから!」
「へぇ……秀美、そうなの?」
「師匠とは大げさだが、まあ、地区予選の後、少しな」
「はい! そうなんです!」

 ゆのが笑顔を見せた時、廊下の向こうからゆのを呼ぶ声が聞こえた。

「あっ、女将さんが呼んでますので! 今日は団体さんがもう一組いらっしゃってて……」

 言い残して、ゆのは小走りに館内の奥へと走り去っていった。見送る秀美の表情は、自然とやわらかいものになっていた。



2

「さて」

 六人分の布団が敷ける、広い和室。真ん中に置かれた座卓を囲んで、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》に秀美を加えた六人が座っている。奏は全員を見回してから、ミーティングを始めた。

「今回、急に合宿をすることにしたのは、他でもありません。今月末に迫った《ミニ四駆選手権》の全国決勝に向けて、もう一度、チームとしての団結を強めたいからです」

 奏の向かいには、秀美が座っている。

「決勝の特別枠は、秀美が引き受けてくれることになりました。チューナーとして、チームリーダーとして、私たちと比べ物にならない経験値を持っていると思います。でも、私たちも、これまで戦い抜いてきたことは事実です。自信をもって、力を合わせて、やっていきたいと思います」

 奏は軽く、頭を下げた。

「じゃあ、部長の涼川さんから、何かある?」
「うーん、別にいう事はないんだけどさ……」

 あゆみが、探るように言う。

「あたしたち泊まり込みで……何するんだっけ」
「……もう、そういうの治らないの?」

 奏が、顔を赤くしながら抗議する。

「いやいや……」

 楽しそうにふるまっていても、選手権の決勝に向けて気持ちが入らない。それがあゆみの現状だった。

《ライキリ・プロジェクト》によって開発されたハイパーカー。七年前の事故はなぜ起きたのか。アイリーンと次に向かい合ったとき、どんな言葉を交わせばいいのか。そして、父親に対してどう接すればいいのか。気が付くと、そんな思考のループにはまり込んでしまう。

あゆみの悩みを感じることもなく、奏は咳払いを一つしてから口を開いた。

「まあ、おさらいの意味も込めて、改めて説明するわ。
 わざわざ合宿という形にした理由は三つあります。
 ひとつは決勝で使用する2台のマシンを、誰のものにするかを、全員の意見を聞きながら決めたいから。ふたつめは、そのマシンを使っての練習をしておきたいから」
「練習? ここでできるんですか?」

 たくみが、腕を組みながら言う。

「できるのよ、それが。詳しくは後で」
「はーい」
「そして三つ目は、さっきも言ったけど、チームとしての結束を強めたいから。ミニ四駆って体を動かすスポーツみたいに、直接ボールとかをやり取りしたりはしないけど、チーム内でコミュニケーションがうまくできていないと、絶対に勝つことはできません。」
「納得」

 たまおの言葉が、説得力をもって響く。

「じゃあ、まずは最初の話題を……」
「の前に!」

 納得したふりをしていたたくみが、飛び跳ねるようにして立ち上がる。

「まずは旅の疲れを、大浴場で洗い流すってのはどうですか?」
「私も、それがよろしいかと思います」

 たくみに煽られるように、ルナが賛同する。

「え、ちょっと、とりあえず最初の」

 奏の言葉に耳を向けながら、たくみは自分の荷物から入浴に必要なものを抱え込む。

「あっ、ちょっとたくみちゃん!」

 無駄のない動きでたくみは部屋を出ていく。

「たくみちゃーん、ダメよー」

 ルナは文字通りの棒読みでたくみをとがめながら、いつの間に用意した着替えを携えて部屋を出ていった。

「もう、この間もこうだったじゃない!」
「まあまあ、会長」

 頬を真っ赤に腫らしながら悪態をつく奏を、あゆみがなだめる。

「秀美、見た? もう、いっつもこういう感じなのよ?」

 同意を求めて見つめた奏を、秀美は笑った。

「まあ、止めようってのが無理なんじゃないか? あの子たちの元気を、わざわざ抑え込もうっていうのがもったいないさ」
「そうかしら」

 奏は、浴場へ向かった二人に伸ばした手を戻した。すると、去っていったはずの足音が慌てて戻ってくる。ふすまが勢いよく開け放たれた。

「あれっ、早乙女の……弟ちゃん」
「弟じゃないって!」

 秀美の冗談に、たくみがムキになって反応する。

「それより、赤井さん!」
「え?」
「赤井さんも入りましょうよ!」



3

 結局、ミーティングは一時中断となり、六人で連れ立って浴場へと向かう事となった。「大浴場」と呼ぶにはコンパクトで、十人も入れば手狭になりそうだった。
 立ち込める蒸気に包まれながら、秀美は黙々と髪を、体を洗っていく。その背後ではたくみを中心に絶えることなく、笑い声が響いている。小さくため息をつくと、隣から奏がのぞき込む。

「まだ、やっぱり慣れない?」
「ん、いや、大丈夫」
「もうちょっとみんな、年上のいう事を聞いてくれればいいんだけどね」
「年上……そうか、三年生は奏だけか」
「そうなのよ、もう疲れるわ」

 あきれた風をよそおいながら、奏の口元には笑みが見える。

「楽しそうだな」
「え?」

 不意に放たれた秀美の言葉に、素っ頓狂な声が出てしまう。

「私の知っている奏は、もっと、いつも思いつめたような、真剣な表情ばかりだったから」
「……そう?」
「選手権が始まる前、久しぶりに会ったときも、基本的にはそういう感じだった。でも今は、すごくリラックスしているようだし、ミニ四駆を、レースを、楽しんでるっていうのがよくわかる」
「そうね。まあ、大変というか思い通りにいかないことばっかりだけどね」
「思い通りにいかないからこそ面白いんだよ、レースは」

 秀美が立ち上がる。褐色の、すらっと伸びた手足と、ぴんと張り詰めた背筋に奏は圧倒され、思わず後ずさる。
 お先に、と言い残して秀美は浴槽へ歩いていく。すでに湯に浸かっているメンバーから歓声が上がった。奏は頭から湯をかぶって、その後を追いかけた。

「決勝のマシンか……」

 あゆみが浴槽の中で腕を組む。

「あら、あゆみちゃん、ここでミーティングやっちゃうの?」
「うーん……」
「そうね、私は、一台はあゆみちゃんのエアロサンダーショットでいいと思うけど」
「それ、ボクも賛成!」

 しぶきを上げながら、たくみが輪に加わる。

「そうだな、私もそれが自然だと思う」

 秀美の言葉に、たまおが静かにうなずく。

「じゃあ、一台は決まりね」
「そうすると、もう一台が問題だな」

 奏と秀美のやり取りによって、議論が進んでいく。

「せっかく《エンプレス》に加入してもらったんですから、例のニューマシン、マッハフレームを使わせてもらうのはどうです?」

 あゆみが尋ねるが、秀美は首を小さく横に振る。

「あのマシンは、まだ熟成されていない。それに、駆動系もエアロサンダーショットとは異なる部分が多い。あまり勧めたくはないな」
「ただ」

 全員が秀美の言葉に納得しかけたとき、たまおが口を開いた。

「違うシャーシで、作戦を分けることもできます。モーターは片軸で使いまわせるのだから、一台はFM-Aでも問題ないのでは」
「それも確かに」

 たまおは言いたいことを言い終えると、湯に肩まで浸かりなおす。

「でもでも!」

 たくみが手足をじたばたと動かす。

「やっぱり同じシャーシで統一した方が便利なんじゃないかな。パーツだけじゃなくてセッティングとかも流用できるし」

 跳ねた水滴が奏の顔にかかる。

「そうよねぇ……」

 奏は頬に手を当てた。

「あの……」

 ルナが細い声をあげた。

「ちょっと、のぼせてしまいそうなので、そろそろ上がりませんか……」
「あっ、そうね、大変! じゃあここは一旦引き上げましょう」

 六人が一斉に立ち上がり、水面が大きく、激しく揺れた。



4

 部屋に戻ると、案内されていた夕食の時間が近づいていた。食事は玄関ロビー近くの食堂が会場となるため、六人は慌ただしく身支度を整えて、部屋を出ていく。

「会長」

 たまおが、奏に声をかける。使い込まれたスリッパの音が、けたたましく廊下に響いている。

「何?」
「さっきのミーティングで、ここで練習もやるって話でしたけど、食事のあとにやるんですか?」
「はっ」

 正直、何も考えていなかったとは言えず、奏は沈黙する。

「なるほど」

 正直、何も考えていなかったのだろうとは言えず、たまおは適当な相槌を打った。

「それはそうと」
「な、何?」

 皮肉めいた言葉、辛辣な意見、そういったものを投げられたわけでもないのに、奏は明らかに動揺している。

「ここで練習って、どうやって」
「おおーっ!」
「すっげーっ!」

 たまおの言葉を、あゆみとたくみの叫びがさえぎる。話の腰を折られ、ムッとしながら二人を探すと、食堂に向かう途中にあるラウンジに吸い込まれていくところだった。

「お二人とも、ちょっと」

ルナが呼び戻そうとしながらも、二人の後を追いかけ、同様にラウンジへ入っていく。
 マッサージチェアや卓球台など、定番の娯楽用品を押しのけて、正面には液晶のディスプレイが五台設置されており、その下には見慣れた筐体が並べられていた。

「これ、バーサス……」
「まあ、そういうこと」

 自分では何も説明していないのに、奏は得意げに言う。たまおはあきれた顔で奏を見るが、気にする様子はない。二人の背後にいた秀美がため息をつく。

「小田原さん、設備を充実させるとは言っていたけど、ここまでやるとは驚いたな」
「《バーサス》が目当てで、他エリアから泊まりにくるミニ四チューナーが増えてるらしいって聞いたわ」
「まったく、大したものだ」

 秀美が感嘆の声をあげる。

「そう言っていただけると、そろえた甲斐があります!」

 いつの間に後ろにいた、ゆのが弾けるような声で言う。

「お食事のご案内に、と思ったんですけど、皆さん、ご案内の前にいらして下さったんですね」
「まあ、食い意地は張ってるようだからな、このチームは」

 皮肉めいた秀美の言葉に、奏はあいまいな笑顔しか返せない。あゆみとたくみは《バーサス》をベタベタ触りながら、設備を確かめている。直接手を伸ばしはしないものの、ルナも一緒になってのぞき込んでいる。

「ただ、食欲よりも、ミニ四駆に、レースにかける思いは強いようだ」

 秀美が言う。

「ですね」

 ゆのが笑顔で返した。

「ただ、もうお食事の用意は整っていますので。もうひとグループの方と一緒のお時間になってしまって申し訳ないのですが……」
「小田原さん、その、もうひとグループさんってどんなお客さんなの?」

 奏が聞く。

「あれ、お話してませんでしたっけ? 皆さんと同じ、《ミニ四駆選手権》に出場されているチームの方ですよ?」
「えっ?」

 不意を突いた答えに、奏は体をのけぞらせる。たまおと秀美は大して驚いた様子もない。

「まあ、これだけの台数の《バーサス》がそろっているところはそれほど多くはない。奏と同じようなことを考えるチームがあっても、おかしくはないだろう」
「確かに」
「ははは……さすが、赤井さんとたまおちゃんですね」

 立ち話をしている四人のもとに、あゆみたちが駆け寄ってくる。

「ねえ、もうゴハンでしょ? 早く行こうよ」
「もーおなかすいたよー」

 あゆみとたくみが、それぞれに言いたいことをまくし立てる。

「寄り道してすみません。小田原さん、行きましょうか」

 ルナが頭を下げる。恐縮するゆのに促されて、六人は廊下を進んでいく。

「小田原さん、それで」

 奏が尋ねる。

「私たち以外に泊ってるもうひとチームって、どこなの?」



5

「ほう……ここで赤井に会うとはな」

 すでに食事を始めていたもう一組の団体、「《ミニ四駆選手権》出場チーム」の一人が、秀美を見て言った。床につきそうなほど長く伸びた髪の間から、するどい眼光がのぞく。

「それはこっちのセリフだ、氷室」

 秀美が負けじと、睨みをきかす。

「げっ……氷室……ってことは、氷室蘭と《フロスト・ゼミナール》……」

 苦々しげに、奏が言う。氷室蘭は、その声に微笑みながら、奏を見た。

「ご名答。君たちは……ナゴヤのホテルで見かけて以来だな」
「そ、そうなりますかね」
「そこまで警戒することもないだろう。今日は別に、レースをしに来たわけでもあるまい」

 透けるような白い肌に浮かぶ微笑みが、かえって恐怖感をあおる。他のメンバーは、蘭のやりとりに動じることなく、黙々と箸を進めている。

「レースをしに来たんじゃない、っていうなら、そういう態度はやめてくれないか、氷室。私と違って、この娘たちはお前の扱いに慣れてないんだ」

 秀美が身を乗り出す。

「私は、別に君たちを威嚇したつもりはない。せっかくだから、まあお互い楽しくやろうじゃないか」
「どの口が……」
「まあまあ、いま《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の皆さんのお食事もお持ちしますので……」

 迫力に圧倒されていたゆのが、慌てて厨房へ駆けてゆく。

 食堂は長いテーブルに十二人が並んで座るようになっていた。《フロスト・ゼミナール》は五人で座っているため、端にいる蘭の向かいには誰もいない。その隣に秀美が、はす向かいに奏が座る。あゆみは、奏の隣に座った。

「それにしても赤井、うれしいぞ。お前と決勝で会えるなんて。瀬名と万代、おそらく羽根木も、きっと喜ぶ」

 蘭が、刺身を口に運びながら言う。

「別に、私は氷室たちを喜ばせるために参加したんじゃない」
「うむ、わかっている。ところで噂に聞いているぞ、ニューマシン、マッハフレームはなかなか良いらしいな」
「どこで聞いてきたのやら……」

 秀美はため息をついた。

 奏は、蘭と秀美を交互に見つめる。ふたりとも一年生で決勝に進出してから、ミニ四チューナーとして競ってきた。その間、どんなやりとりがあったのかを知るすべはないが、半年前までろくに連絡を取っていなかった自身よりも、はるかに近い距離感ということは奏にも理解できた。

 《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のもとに、前菜が運ばれてくる。かわいらしく盛り付けられた三種の前菜を、奏は注意深く口へ運んでいく。

「この間のレース、万代が乱入してきたんだろう」
「ああ」

 蘭の問いかけに対し、秀美の答えはあくまで冷たい。目線をやることもなく、目の前の料理に集中している。

「でも結局、直接やりあわなかったんだろう?」
「ああ」
「連れないな。私も映像は見ていたよ。同じFM-Aシャーシのマシンだがセッティングの方向性はまるで異なる。実に興味深い」
「見てたんだったら、くどくどと私に聞かなくてもいいだろう」

 秀美は吸い物を口に運ぶ。

「秀美と一緒に、もう一台走っていたマシン……なんだっけか」

 蘭は首を傾げ、上を向く。

「エアロアバンテ、ですよね」

 いらだちを隠そうともせず、奏が言う。

「そう、エアロアバンテだ」

 蘭は手をたたく。

「君は……ひょっとして、あのエアロアバンテのチューナーかい」
「そうですけど」
「ほう……」

 値踏みするような視線が、奏の顔、全身を巡っていく。得体の知れないものがはい回るような違和感に、奏は震える。

「正直、万代との接触はいただけなかったな。終盤に向けて余力を残していたのなら、もっと早くからベースアップしていても良かったはず」
「ぐ……」

 蘭の的確な分析に、奏は返す言葉がない。順位をコントロールするために、秀美のマッハフレームが予定していたスピン。それにどう対応するかばかり考えて、レース戦略どころではなかったのが事実であった。

「私もARシャーシ、シャドウシャークを使っているからわかる。何というか……本気でやっていたかい?」
「やってましたよ!」

 挑発的な蘭の態度に、奏が声を荒げてしまう。

「奏」
「会長」

 あゆみと秀美が同時にいさめる。

「ごめんなさい……でも……」

 奏はうつむき、箸を置く。

「そういうなら、見せてほしいな。君の……えーと」
「恩田、奏です」
「そう、恩田さんの、エアロアバンテの実力をさ。ちょうどここには《バーサス》もあることだし」
「氷室、勝手に決めるな」

 秀美が身を乗り出すが、蘭の口元から笑みが消えることはない。あゆみ、ルナ、たまおとたくみは、これまでのやり取りに口を挟むこともできず、成り行きを眺める事しかできない。

「どうせなら、赤井も付き合え。2対2ならエキシビションとしては適当だろ」
「む……」
「えっ……」

 秀美と蘭、そして奏、三年生どうし三人の視線が交錯する。その様子を、ゆのは止める事もなくじっと見つめていた。胸の前で抱えた盆を握る手に、力が入った。



6

「ねー、会長、どうするんです?」
「会長……さすがに、何と言えばよいか……」

 たまおとたくみの、冷たい声が部屋に響く。責められる側の奏は、布団をかぶって部屋の隅で小さくなっていた。

「大会前に他チームと練習試合とは、自分たちのポテンシャルをわざわざ公開するようなものですね」

 ルナが、湯のみの茶を吸いながら言う。

「だったら、ルナちゃんや早乙女ずのマシンで、何とか切り抜けるとか」
「ダメだ」

 あゆみの軽口を、秀美がばっさりと切り捨てる。

「私と奏、二人が指名されたんだ。しかも切っ掛けはこっち側にある。こうなったら、逃げるわけにいはいかない」
「うう……」

 奏は部屋の隅から、さらに隅を目指して丸くなっていく。秀美は腕を組んで、ため息をつく。

「なあ、奏……ひとつ考えたんだが」

 つぶやくように言った秀美に視線が集まる。

「このレースで、先にゴールしたマシンを決勝で使うってのはどうだ?」
「《エンプレス》、それってどういう」

 あゆみが身を乗り出す。

「一台を涼川さんのエアロサンダーショットに決めた以上、やっぱりモーターは片軸でそろえる方が安全だと思う。そうなると私のマシンか奏のマシンになるわけだが、さっきも話していたように、エアロアバンテにするにせよ、マッハフレームにするせよ、パーフェクトとはいかない」
「その通りです」

 ルナが真剣なまなざしを向ける。その背後で、布団の山がもぞもぞと動き、眼鏡のレンズが光を反射する。

「考えていても仕方がない。それこそじゃんけんやくじ引きでもいいんだろうが、それじゃ味気ないからな」

 秀美が微かにほほ笑んだ。おう、とたくみは小さく感嘆し、たまおは大きくうなずいた。

「ちょうどいい機会だろう。これで、奏が最初に言った三つの目標が全部こなせる」
「ひとつめは、決勝で使うマシンを決める。ふたつめは、それを使って練習をやる」

 あゆみが、部屋の隅にまで届くよう、声を張り上げて言った。布団の塊の動きが止まり、しばし震えたかと思うと、布団が大きく跳ね上げられた。

「みっつめは、チームとしての結束を強める」

 立ち上がり、足に力をこめ、右手を強く握りながら奏は言った。眼鏡の位置を直し、大きく息を吸った。

「わかったわよ、秀美、今度こそ」

 覚悟が決まったがゆえの言葉ではなかった。むしろ、覚悟を決めるためにあえて口に出しているように聞こえた。

「みんなも、それでいい?」

 好きにしてほしい、と言わんばかりに目を伏せ、たまおは微笑む。握りこぶしを突き出して、たくみは奏を鼓舞する。ルナとあゆみが、笑顔を見せる。
「これは、決まり……と受け取っていいんだな」

 秀美に目を合わせてから、奏は咳払いする。

「ごめん、私、この間からほんと、みんなに迷惑かけてばかりで……。だけど、今度こそやってみるわ。今度こそ、エアロアバンテの持って力を全部出してみせる。だから、このレース、私にやらせてほしい」

 あゆみを起点にして、小さな拍手が起こった。秀美も、恥ずかしがりながらも手をたたいた。

「会長、ここは前向きにとらえましょう。去年の準優勝チームなら、練習相手に申し分ないってことで」

 あゆみの言葉に、奏の足元が揺らぐ。

「あっ、準優勝……そっかぁ……」
「あれっ、忘れてました? でも今更やめるなんて、もう無理ですよ」
「わ……わかってるわよ!」

 奏の声が、部屋を飛び出して廊下にまで響き渡った。



7

 《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のメンバーがラウンジに向かうと、すでに《フロスト・ゼミナール》の五人の姿があった。浴衣の女子中学生が集まり、傍から見れば温泉卓球でも始めるようにしか思えない。だが、彼女たちの間には張り詰めた空気が存在していた。

「待たせたな」

 秀美が一歩前に出る。

「ああ、待ちくたびれた」

 ソファに腰掛けていた蘭が立ち上がる。

「準備はできたかい、生徒会長さん」

 あくまで挑発的な、蘭の態度に言葉を返したくなるが、奏は黙ってうなずくのみだった。

「いいだろう。二対二ということで、ウチは一年生の新志(あらし)が入らせてもらう。よいかな」
「新志久美子です! よろしくお願いします!」

 小柄な少女が、甲高い声であいさつする。そのひたむきな態度に、奏も秀美もわずかに頬が緩む。

「では、この四人で始めようか」
「あの!」

 突然響いた声に、全員が振り返る。

「小田原さん……」

 奏が目を見開く。仕事着姿のままのゆのが、小走りでラウンジに入ってくる。

「無理なお願いですみません。《バーサス》、五台あるんで、私も一緒に走らせてもらえませんか」

 ゆのが、蘭、秀美、奏と順番に見回す。突然の出来事に、どう返答したらいいかわからない。そんな沈黙が続く。それを破ったのは秀美だった。

「マシンは持ってきたのか」
「はい、これです!」

 ゆのは、袖口に手を差し入れて、中にあるマシンを取り出した。
 ホワイトの、のびやかな線でつくられた鋭いノーズと、後方に広がるフィン、そして特徴的なX字を描くフロントカウルが現れると、その場にいる全員がおお、と感嘆の声を漏らした。

「ジオグライダー、FM-Aシャーシです!」

 マシンを見て、秀美が苦笑いする。

「そういうことか」

 目が合ったゆのがほほ笑むが、事情のわかっていない奏は困惑する他ない。

「そういうことって?」
「ああ、小田原さんとは、カナガワ地区予選が終わった後もチューニングについてしばらくメールを交換してたんだが、奏とのレースの後、マッハフレームとFM-Aシャーシの事をずいぶん熱心に聞いてくるんでね」
「だって、赤井さんは私の師匠ですから。弟子が師匠と同じシャーシを使うのは当然でしょう」
「うむ、その通りだ」

 秀美は蘭に向き直る。

「そういうわけで、いいかい、蘭」

 ゆのの頭からつま先まで、まるでスキャンするかのように蘭の視線がはい回る。何かを理解したのか、ほう、とつぶやきながら首を数回、縦に振った。

「もちろん。プレイヤーの数は多い方が、より実戦に近い環境になるからな。歓迎するよ」

 言いながら、蘭は《バーサス》のログイン操作を始める。

「そうと決まれば、早く始めよう。面白いことになりそうだからな」

 蘭がいち早くバイザーを装着すると、久美子も慌てて後に続く。

「私たちも、行くぞ」
「う、うん」

 秀美と奏が慌ただしく準備を進める。

「会長、あの」

 あゆみが声をかける。奏の手が止まる。ほんの一瞬だったが、奇妙なまでに静かな時間が作り出される。

「お願いします」

 そう言って、握りこぶしを奏に差し出す。

「お願いされたわ」

 奏が軽く、自分のこぶしをタッチさせる。

「私も、チームのひとりだ。忘れないでくれ」
「あ……」
「頼むぞ」

 秀美のこぶしは、やけに重く感じられた。振り向いて、二人は《バーサス》へのログイン手順を開始した。



8

 氷室選手が選択したサーキットは、メキシコのクラシックコースである《エルマノス・ロドリゲスサーキット》だった。
 標高二五〇〇メートルの高地に位置するサーキットは空気の密度が低いため、パワーユニットの出力や空力効果が他のサーキットとは異なる特性を示す。そのため、マシンセッティングが非常に難しい。
 コースレイアウトは、全長千メートルを超えるホームストレートと高速コーナーを中心に構成されている。最大の勝負所はホームストレートの手前、急角度のバンクを備えた大回りの最終コーナーである。近年の改修では低速のインフィールドに変更されているが、氷室選手は以前のグランプリで使用されていたレイアウトを選択した。
 また路面は荒れた部分が多く、タイヤの摩耗は他のサーキットに比べて著しく早い。タイヤマネジメントがレースを進める上での重要なファクターとなる。
 レース距離はグランプリレースの半分にあたる百五十キロ、三十五周に設定。出走する五人は、ノンプレイヤーキャラクター(NPC)を含めて二十六台が出走するグリッドの、最後方からスタートすることとなった。
 ブレイヤーの中では最前列となる二十二番グリッドに小田原選手がつく。二十三番グリッドは恩田選手、その隣に《フロスト・ゼミナール》の新志選手。最後列の二十五番グリッドに赤井選手がつき、氷室選手がしんがりという隊列に決まった。
 全てのマシンの準備が整うと、自動的にフォーメーションラップが始まっていく。

「《フロスト・ゼミナール》のマシンはシャドウシャーク……変わらないな」

 秀美がつぶやく。無線は全員で共有しているため、蘭の耳にも届いていた。

「シンプルで、素性のいいマシンだからな。新しいものが必ずしもいいとは限らない」
「そうですけど……!」

 ゆのが思わず反応する。急ごしらえのマシンではあったが、秀美仕込みのセッティングが随所に活きていた。
 奏は淡々とマシンを左右に振り、タイヤに熱を入れていく。モニターには、マッハフレームのコンパクトなテールが見える。今度こそは、情けない真似はできない。奏は握った手に力をこめた。
 二十六台のマシンが所定の位置に着くと、シグナルに赤い光が灯る。五つ揃ってから、ブラックアウト。レースが始まった。

「ジオグライダー、蹴りだしがいい!」

 あゆみが叫ぶ。白いマシンは素早い反応を見せ、大径バレルタイヤながらも鋭い加速で前車をオーバーテイク。秀美も抜群のスタートで久美子の前へ出る。

「会長はまずまず……。氷室さんは少し遅れ加減でしょうか?」

 ルナの指摘通り、蘭のスタートは極めて慎重なものだった。直前の奏に比較するとその差は明らかで、一コーナーが近づくにつれて大きなものになっていく。

「なーんだ、プロフェッサーってったって大したことないじゃん」
「待って、まだわからない」

 たくみを制したたまおは、マシンの隊列を注視した。上位グリッドからスタートしたNPCのマシンに性能差は無く、ホームストレートの終わりに達しても密集した状態が続いている。そして迎えた、鋭角な一コーナー。マシンが殺到して大渋滞となる。

「きゃあっ!」

 ジオグライダーがフルブレーキング。フロントモーターで荷重のかかる前輪へさらに負担がかかり、タイヤから白煙が湧き上がる。前方では接触したマシンもあり、コースは完全にふさがれている。蘭はゆっくりと減速し、奏の背後につく。タイヤへの負担は極めて少ない。

「げっ、そういうことか……」  

 たまおが苦い表情を見せた。蘭のシャドウシャークは、エアロアバンテに引っ張られるようにしてコーナーを抜けていく。奏は、奥歯を噛んだ。